日本式ハロウィーン
Japanese Halloween
ここ何日間かで、どこもかしこもハロウィーン一色ですね。
先週末は、都会ではみんな仮装(コスプレ)してワイワイしてましたね。
さて、今日はそんなハロウィーンについて僕が思ってることを書こうかと思います。
まず結論から言うと、
僕はハロウィンを祝うことに賛成です!!!
あれ?反対じゃないの?と思った方もいたでしょう。実は賛成なんですね~。
渋谷で騒いでる奴らとは絶対一緒にはなりたくありませんが。
させ順を追って、見ていきまひょ。目次はたてましたが、順に見ていってほしいです。
実は知らない人が多い、ハロウィーンとは?
ハロウィーンといえば、カボチャ・ヴァンパイア・Trick or Treat などが思い当たりますが、これって元々なんなの?ってところですよね。
ハロウィーンとはズバリ!!!
”毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある。” (ウィキペディア引用)
ウィキでごめんなさい。でも間違っていないです!
そう、ここで気をつけてほしいのはハロウィーンは”キリスト教の祭り”ではないのです!
オランダ人やフランス人の友達に聞いて見ましたが、やっぱり祝わないそうですよ。僕もこれ知らなかったんです。
というのが、ハロウィーンです。
さて、ちょっと話が飛びますが、日本人にとっての”祭”について少し考えて見たいと思います。ちゃんと繋がってくるのでご心配なく。
日本人にとっての”祭”
そもそも祭りというのはなんなんでしょう?
これも専門家の方の定義をそのままパクらせてもらいます。
国文学者・民俗学者の大石泰夫氏によれば、祭りとは
”元々の語源は神様を「祭る」という意味で、神をお迎えし、もてなし、喜んでいただいて、お送りするというのが原点”
引用元:https://www.athome-academy.jp/archive/culture/0000000143_all.html
だ、そうです。
その祭りというのが、昔は(今もごく一部では)人々の生活と結びついていて、生きていくための拠り所でもありました。なぜ、そう言えるのか?
それは、後ほど【祭とCommunity】で説明します。
ほうほう、こいつはハロウィーンと祭りを繋げたいんだな、と思ったそこのあなた!!!!
そう!まさにその通り!でももうちょっと待ってね(笑)
もう一つ、社会学というか歴史学というか、まあ、そんな観点から考えてみたいことはもう一つあります。
社会の形態の変化(共同体→機能体)
んー、ちょっと難しい。実は自分自身も最近一般教養の授業で、習って興味が出てきたから自分で調べてみたってだけなんですけどね。
なので何か間違い・勘違いがありましたらぜひぜひ教えてくださいな。
https://www.kobunsha.com/special/sinsyo/member/serial/pdf/ns005_sm0022.pdf
組織・企業においてこれはよく言われるけど、社会そのものがこうなっています。
簡単にいうと、近代化以前、人は交通や通信の手段が限られていたため、住んでいた地域での繋がりがとても大事であった。これが共同体(Community)と呼ばれるものです。
それが近代化によって、人は行きたいところに行き、住みたいところに住めるようになった。昔のように、必ずしも共同体に属さずとも行きていけるようになったのです。それを機能体(Society)と言います。英語がなぜこうなのか、実は自分もしっくりきていないところがあるけど、まあいいや(いいんかい!)
日本は近代化するのがちょこっと遅めでしたが、やはり社会の形態は機能体になってきています。
昔はよくムラ社会と言われていました。これなんか典型的な共同体ですよね。
今はどうでしょう?
東京への一極集中、都市部への若年層の流出などなど、機能体的な形態を取っています。
(なんとか説明できた…)
祭とCommunity
ムラ社会と言われていた昔の日本、まさに共同体(Community)ですね。そこで、組織の成員としての繋がりを確かめる場、それが”祭り”だったのです。
祭りが人々の生活と結びついていて、生きていうための拠り所であった、と書いたのはこれが理由です。
共同体で生きていた頃の人間は、それこそ『一人では生きていけなかった』のです。他者との繋がりを確認するためのイベントとして、祭りは大きな役割を果たしてきました。
ハロウィーンとSociety
さて、ではハロウィーンと機能体はどう関係しているのでしょう。
機能体といえば、地元(共同体)を離れ、都会にでる人たちがまさに機能体ですね。
都会にいる機能体の人々には、共同体というのが存在しません。そうなったときに、自分の存在を確かめるすべがなくなってしまっているんですね。
そこで、機能体における”祭り” 的な役割を果たしているのが、ハロウィーンをはじめとするイベントなのではないかと思っています。
一緒に騒ぐことで、自分と他者の繋がりを認識するんでしょうね。
セクシャルマイノリティの人々にとってのパレードも同じようなものだと考えています。
Japanese Halloween
さて、ちょっと小難しいことも書きましたが、要は
都会の人たちは寂しい人ばっかりだから、何かのきっかけでワイワイ騒いで、自分の存在を確かめたいんだ!
ということが言いたかったかったんです。
それでも渋谷で起きた諸々の事件は、非難されるべきだと思っています。
ハロウィーンに否定の方の中には、ハロウィーンは元々日本のイベントじゃねーじゃん!やり方も全然本来のハロウィーンとちげーじゃん!
という方がいます。確かにその通りです。
そんな方に『シンクレティズム』という考え方を紹介したいと思います。
簡単にいうと、いろんな宗教の考えが混じり合う、ということです。
日本なんて典型的なシンクレティズムな国だと思います。
神仏融合、という言葉は少し難しく感じますが、お寺の中に社がある、仏壇と神棚どちらもおいている、、、etc
例を挙げるとキリがありません。そう、日本は元々他の国の文化を取り込んで、自己流にすることに抵抗が少ない国なのです!
もちろん、他の国にもシンクレティズムはありますが、僕は日本はその中でも突出していると思います。
ならばハロウィンも、Japanese Halloweenがあってもいいのではないかと思うんですね。
それに自分が参加するかどうかはおいといて…
軽トラがひっくり返される動画を見たとき、本当に怒りを覚えました。集団心理って怖いなと感じました。
ハロウィーンを盛大に祝うことには両手をあげて賛成します。しかし、悪いことをした人にはちゃんと反省してもらうべきだと思います。
一方で、ハロウィーンというイベントが出来上がったのはほんのここ数年だと思いますが、新たな概念としての祭りが出来上がるのだから、はじめのうちは犠牲もつきものだと思います。
(許しているわけではありませんよ。めちゃめちゃ怒ってます。)
ねぶた祭り、だんじり祭、日本には伝統的な祭りがたくさんありますが、それらもできはじめた当初は何かしらの犠牲があったのではないでしょうか。
そのうち、対策ができ、より効率的にシステム化されていったのではないかと思うのです。
Japanese Halloweenもそうなることを信じて、今日はハロウィーンについて書いてみました。
全然関係ないけど、昔撮った写真。(笑)
コスプレちっくだから載せとくw
お読みいただき、まことにありがとうございました。
また明日!(更新頑張るよー!!!!)